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スタッフブログ

何やら仰々しいタイトルです。

親父もこの高校の出身、当時は三中と呼ばれていたそうです。
死んだ兄もこの学校の出身で、出来も良かったと覚えています。

当時勃発した学生運動に感化された若者が多く、高校生だった私の高校にも飛び火して、
生徒による職員室のバリケード封鎖などがあり、授業崩壊をきたしていました。

その影響もあって、私は仲間と勉強をするどころか毎日、放課後居残って教室でマージャンをしていました。
修学旅行にもマージャンカードを持参して毎晩遊んでいた体たらくでした。

学校は本牧の丘の上にあり、校庭は米軍のベースキャンプに接していました。
本来、偏差値も高く公立高校ながら東大へ上がる生徒もゴロゴロいる学校です。

校庭は広くて野球部とサッカー部、テニス部がそれぞれ盛んに練習していました。
生徒のファッションも雑多で、リーゼントもいれば、モップヘアー、ロングヘア―等様々でした。
勿論、ガリ勉もいるし、音楽や美術のクラブ活動も盛んでした。

中学校時代から文章を書くのが好きだった私は、この自由な校風のおかげと自由な時間に恵まれて、仲間を集め演劇
サークルを起し、学内で自分が書いた脚本で演劇活動にのめり込むようになりました。

演劇に出会ったのは紅葉坂にあった県立青少年ホールで観劇したいくつかの芝居でした。
新劇と言うジャンルの作品で、うち一本は西田敏行主演の写楽と言う芝居でした。

それから演劇ファンになって観劇を重ねるうちに脚本を書くように・・・
役者希望者よりも音楽、美術、服飾志向の仲間を集めて始めました。

ここが正式な演劇部とは違いました。 発声練習等やったこともありません。
ですから、違う何かがあったのでしょう。
初演から受けました。 生徒にも、職員室にも。結果、いきなり顧問が付きました。

そう、前書きが長くなりましたが、その高校の同期が集まる同窓会。

皆が被った卒業アルバムから抜いた写真と三年間のクラスが明記されたネームカードを見せ合い

「オーお前とは二年で一緒じゃん。」
久しぶりの再会は楽しかった!

何がしたいという明確な物を持っていた青春時代を思い出しました。